物理的にも心理的にも、この余裕があって働きがあるものですよね。
スライディングブロックパズルなんかはそれを正にカタチにしたもので、手狭なところに陣取ったところで助走もとれやしない。最大活用、整理整頓、応用への試み、すべてをとってみても余裕があるところに自分の方法を一時的にも取り置けるから、対処や冷静な判断を紐つけることが出来るんだと思ってます。

だからして、急ぐことを良しとは思わないし、何かにつけただただ詰め込む事も効率的とは到底思わない。「誰が為」とはよく言ったもので、何をするにつけてそこに「自己」を見失う時点で何も得られるものはないんですよね。
振り返れば、忙しい時にこそ時間の流れはもの凄く早い割に、その時間をしかと咀嚼している事は皆無のようにも思います。


けして手を抜くだとかそういった材料として扱って欲しくはないんだけれど、そういった働きを生むための余裕をどうにかして作るという作業は、生活する上でその目の前にあるやらなければいけないことを同じくらいの価値として扱われるべきだと思ってます。
それが結果として自己をキチンとしたカタチでアウトプット出来ることにつながるし、俯瞰から間違いを極力抑える事が出来る。そしてそのペースアップ、即ち改良を見込める構え方ってそういった余裕が無いと生まれ得ないことだと経験上思うから。

目の前の事に集中することを良しとするのも一理あるとして、その集中を一見遠回りに見える「余裕」の追い風にのせる事で、今まで以上の効果を見込める事、想定以上の効果を望めること。そういった心持ちで何ごとにも臨む事を大切に、生活を育んでいきたい。そう思ってます。

2014年は「余裕」をもつことを念頭に。己のため、ひいては受け手のため。
こまめにブログも書かなきゃね;P
これ、すっごく重要なことだと思います。

世の中に関わる以上、サービスにしても生産にしても、何かしら表層をカタチづくる機会があるはずなんですよね。人と接するんですもの、必ず物体や表現に落とし込まずには、内面から外に打ち出す接点を設けられない訳です。
であるからして、そういった他人の手を通じた表層に触れ、それが対価となる。これが経済活動の基本として、人間はおそらくにして、表層からその作り手の意識を判別してる生き物だと思うんです。

それがかわいいのか、美味しいのか、やさしいのか。
形容されうる感情のバリエーション分だけ、モノには表情がある。

「モノ作りが楽しくあれ」というのは、そういう真意をついていることだと思うんですね。
楽しい中に生み出されるアイデアと、苦心の末にひねり出すアイデアには雲泥の差があって、それこそは間違いなく結果に反映されてくる要素。受け手側の無垢な視線に適うために戦々恐々な面持ちが必要かといえば、大方必要ない。そう考えます。

その感情がアウトプットに込められてしまう。そう道理づけられることを学んでしまえば、その手前にどういった心持ちで取り組むべきかはとてもカンタンなことだと思います。
必要の無い緊張感、見下す様な物言い、早合点は論外として、「さぁ、ご一緒に」と言ってしまえるくらいの、何かいろんな可能性を呼び起こしそうな空気感は、モノを作る現場、接点を生む状況においては必要だと思うなぁと、そう考えます。

短文に詰め込んじゃったかなwま、いっか。
それでも毎日バカばっかりふれ回ってるおかげで、今日もいいアイデアに巡り会えました(反省無し)。ちゃんと実現させて、接点に立つ人の「いいね」につなげて結果を紐つけられるといーな☆:)

皆の「今までで一番ステキな場所」っていうのを知りたくなりました。
優劣つけ難いと思うんですけどね。いろんなステキな経験をしてきている人たちがいるなかで、これまで訪れてきて一番ステキだったな~って思い返した時に、僕の場合は最初に思い浮かんだのが下の場所でした。




大きな地図で見る

もう冗談みたいな舳先なんだけど、なんせ、星がキレイなんです。
水平線までキレイに360度星に囲まれた感覚はココがはじめてだったかもしれない。山の上とか、海のど真ん中とかでも同じ様な景色はたくさんあるんだろうけど、陸続きで手軽なトコもまた乙じゃない?:)
ランタンひとつぶら下がったおもちゃのようなCAFEも、またオシャレで珈琲が美味しかったのを覚えてます。・・・満潮時にテラスが水に浸かるんだな、ここは。

といったさ?皆のステキな場所のURL(google map)を集めてみたいと思いまして。
なにもお店ばかりがその人の「いいね」ではないんだよなーとシンプルに思った次第であります。

ことの外多数集まるようだったら、上手くアーカイブして後悔出来る方法が無いものか、思案してみてもいいかなーなんて思ってます。
お暇な方がいらっしゃれば、どこでもいいのでよろしくね☆
しいのき迎賓館のプロジェクションマッピング。
人手も設備も技術も映像もとても素晴らしかった反面、金沢の魅力がおよそ一辺倒なものであることを再認識させられた。

魅力の偏りが一流のクリエイティブに閉塞感を生んでいる。
伝統色に傾倒するあまり、金箔、織物を中心とした表現となってしまうのは致し方ないこと。。。としてしまっていいのだろうか。「伝統工芸」が金沢の魅力の支柱であることは素晴らしいことだし、誇るべきこと。でもその他はどうなんだろう。人が惹かれるその要素がはたして伝統や史跡、グルメばかりなのか。その答えに何か根拠こそがない安心を覚えていたりしないだろうか。他の都市ではどうだろう。リピートを獲得する人気観光都市の要素はそこに根付く伝統工芸を準えるものばかりなのだろうか。

瞬間で、大規模な映像からはものすごく漠然と、遠回しな警鐘を感じ取りました。

僕がもしこの地元に生まれ得ないとして、上記の様な"金沢の魅力"を並べられたところで、正直に楽しくはないと、そう思います。
伝統、受け継がれる技術に尊ぶべきものはあったとして、生活に、現在に、未熟な自分になにかプラスになる様な利点、口コミネタにはおよそ扱われないものばかり。住んでいる自分すら手にしようとも思わない金箔や友禅が、外部の人間という条件だけで受け入れられる理由が見つからないんです。

交通インフラが整って、距離的な解消を波に起きる、大規模な人の流れの変動。この土地の食べ物の質は魅力ではあるけれど、それは他の土地も然り。
老若男女に受け入れられる、無理の無い魅力の創造を何かひとつでも生み出さないと、最低でも人に話したくなるような楽しみを生み出せないと、その環境の最大活用は引き出せない、そう考えます。

金沢は何のまち?
間に合わせでない、ほんまもんのクリエイティブがここに求められてます。
気が狂いそうになるくらいに思いを馳せて、上下も分からないくらいに考えを巡らせて。
まぁ、そんな時もあるよねと思いながら、ふと「庭」を思い浮かべました。

芝生でもいいし、ガーデニングの語源そのままの庭園イメージでもいいかもしれない。
枯山水?あぁそうか、借景もいいな。水面に映す色はどうしよう、なんてね。

その一輪の花をどう咲かせるかも自分次第。
根ぐされをおこさない様に整える土壌、適度なお水と日光とね。・・・温室には基本的に魅力を感じないので、う~ん、不揃いでもどこかバランスのいい、生気ある花が好きなんだな、多分。


庭作りって人生設計に近い様な気がします。
そこに川を流すも、木を植えるも、その人が安らぐための、心地よい創造空間が「庭」という位置づけであれば、人生に置き換えてもおおよそ向かう姿勢は似ているものなのかもしれないと、雑なんですけどね。思いました。

目の前にある庭をどう創作するか。
環境に置き換えてみて解決を講じると、その庭を踏み荒らされることへの対策、通りすがる人に愛でられるヒントが、シンプルに置き換えられるものばかりのような気もするね。

ジジくせーとばかり思っていた庭いじりって、意外と深いんじゃないか?:P