どれだけ繕ったところで、本質が腐っている以上それを美しくすることは出来ない。
つまりはウソですもんね。表層的であれ、深層的であれ、事実を歪曲すること、誇張することは本質を歪ませるウソになる。

おそらくにして、少しの誇張を本質の歪みとはいわないんでしょう。物事は装飾には対価を付帯する事も出来るものなので、そういう価値づくりはひとつの方法なのかもしれない。
ただ、それが癖づき、重なりすぎたところで、見失って、収拾がつかなくなるウソだらけのものを目の当たりに、真っ当な人間が見抜けない事は、ないです。

重なりすぎたウソに腐らされる本質を目の当たりにすると、やるせない気持ちになるね。
本当の価値付けを、檻の中のペンキでぬられた翼の鳥を見るような、そんな感覚で見つめてしまう。

中にはあたかもな本質ををちらつかせたりする技術もあるんですけどね。人道を逸してる手法なのでさすがにこれは割愛しますが、人が求める物がまずウソではない事をこれまでもこれからも強く認識していきます。

さ。人のふりみてなんとやら。
今日も等身大に生きていきます:)