思い描くは自由なんですけどね。それをカタチに出来るかどうかは、その人はもちろん、むしろその比重が軽んじられるくらいに周りの環境が左右するものだと思うんです。

それについての大きなノウハウをもってしまうと、それを共有するまでの細部の表現が必要になってきてしまう。だけど、それを一言一句、真摯に受け取ってくれて、コチラ側の説明不足が浮き彫りになるくらいのフィードバックを返してくれる様なそんな人に囲まれていると、安心と同時に大きなヤル気をみなぎらせてくれる。
律する自分との掛け合いがアウトプットを相乗的に磨き上げてくれる間柄がとても楽しく、とてもステキだと思うんですよね。必然的にシゴトが楽しくなっちゃいます。

かたや目の回る様な忙しさの時は、こういったことが極端に抜けている事が多いんだよな。。。ひとりに荷重がのしかかる分、アウトプットは勿論、成果もなぜかついてこないコトの方が多い。
身の回りにある事例として「頼ること」と「迷惑をかける」ことを一緒くたにしてしまっているケースが多く見受けられるのだけど、この判別、具合調整が出来ないと生涯ずっと忙しいままなんじゃないかなぁ。。。

忙しければシゴトかといえばけしてそういうものではないわけで、社会に活きる以上は、人の間を相乗的に繋がれるコト、連動に重きを置く事が、着実且つ堅実な「描いたもの」を実現化させる一歩の様な気がします。自分は。

頼れる環境と、頼られる自分の形成を礎に。
さ、また明日から:)