かたや、こういう人もいる。
同じひとつのことを語ったところで、まったく正反対の主張は成り立つものなんです。

それをそれと見なすことも、他人のそれが真反対にして成立していたりすると、基本的に「それはそういうものなんだ」と思ってしまうことは、単純には手を抜いて咀嚼するのと同じこと。。。なんですかね?
むしろ「答えを自分でもたないこと、もちすぎないこと」こそが常に正答に近い立ち位置だ。。。とも言えそうです。

そう言い始めると、どっちつかずの宙ぶらりんな人間、優柔不断な人間になりがちとも思うんですけどね。世の中への迎合と、そうではないぞとの個性や主張も入り交じって人間社会は出来ていて、その中を臨機応変にウンタラカンタラ。。。

人にあわせるも、我を貫くも、物事をまぁるく、あるべきカタチ、あってほしいカタチに収めることを目的としていればそれでいいんじゃないでしょうか。

過剰だったり、軽薄だったり、人それぞれの受け方の指針はあるけれどさ。
「大切にする」って気持ちはみんな一緒なんだと思います。