新しいモノ、未知の対象がもつ可能性はとてもまぶしいものだけど、今、その手にあるそれの「視点を替えるだけで得られる可能性」は、同等、もしくはそれ以上のの価値をもってたりするものですよね。


今までを単純に納めてきたことを、ひとつ複眼的な見方をすることでガラリと変わった印象になる。既存のそれも、変化する環境も、成長する人間も。そんな価値化の取りこぼしこそは、普段生活する中での「もったいない」にあてられるべきものなんだと思います。


可能性ってのは素晴らしい響きなんです、人間には。

それを価値化するか否かは、その可能性を見出す人間にこそ委ねられているものだけど、それがとても難しい。
やみくもに飛び込むだけで価値化したと言う話は、偶然以外、あまり例をみないものだと思います。

そんな偶然にかけてみる人生も、個人的には好きな姿勢ではあるんだけれど、もう一度手を伸ばせば届く位置にあるそれを、ひっくり返したり逆さまにしたりしてみる「価値の掘削」、「本質の整理」を、この年齢、今だからこそしたいなと思う様になりました。


この土地が未だ教えてくれていないこと、周りの人たちの知らされていない顔、そして自分自身の再挑戦。
正直に構えて、真摯に取り組むことを、ずっと面倒くさがらずに生きて、あるべき表情に辿り着ければ、嬉しいんですよねぇ。

気付くということ。意外と大切な人間のフシギな機能です。